忍者ブログ

 [PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



| HOME |

 07 雪の降る中で

たとえばこんな10のキス

01 教室の隅っこで
02 夕焼けが見てる
03 道のど真ん中で
04 窓からのぞいたその顔に
05 公衆の面前で
06 水中で
07 雪の降る中で
08 びしょ濡れになって
09 覆いかぶさって
10 良い夢を 

SCHALK. 様
 http://schalk.xii.jp/

より 07番



07 雪の降る中で


 「ヒロナガ」
 市川が寮の部屋に戻ると、先に帰っていた光矢が待ちかねていたように寄ってきた。
 「訊きたいことがあるのだが、今いいですか」
 「光矢の質問に答えるくらい。いつでもかまわないよ」
 高校の制服から私服に着替えようと、ベッドの上をまさぐる。
 「しかしよく毎日疑問が絶えないね」
 光矢は最近小学校に通い始めた。いわゆる転入生というやつだ。学校に行った初日からずっと、初めて見聞きしたことばかりでうずうずしている。
 「何でも訊いていいんだよ。まぁ俺から正答が得られるかは別だけど」
 あまりにうずうずしているので、市川が見かねてそう言うと、毎日かかさず質問してくるようになった。しかし誰に似たのやら光矢は辛抱強い子で、不躾に問いを投げつけてきたりしない。必ず質問の前に前置きや相手の意向を確認する言葉をつける。
 「光矢は着替えないの? 小学校のでも、制服って疲れるでしょ」
 「服装によって疲労感に差が出るのですか?」
 「動きづらい格好や体を締め付けられるような服を着ていると、そうでない服装の時よりカラダ動かすとき負荷がかかるんじゃないの? まじめに考えたことないけど」
 「そうなのですか? 実感したことがない」
 光矢は首を傾げ、「自分の身体普通じゃなくなっているだろうか」、と手のひらを見つめてグーパーし始める。市川はそれをしばらく見ていたが、
 「それより訊きたいことがあったんじゃないの?」
 そう諭してみた。
 「!」
 驚いてこっちを見てくる光矢に
 「いや、話を逸らしたのは俺なんだよ」
 ちょっとした罪悪感を覚えて付け足してみる。
 「そうなのですヒロナガ」
 光矢はエメラルドのような大きな緑眸を、探求心にきらめかせて訊いてきた。
 「お互いの唇と唇を密着させる行為には、どのような意味があるのですか」
 「おっとお!」
 市川は袖を通そうとしていたTシャツの入り口を見失い、勢いよく片腕を振り回した。
 「この手のイベントが来るにはまだ早いんじゃないの?」
 「?」
 自分のことはまるで棚に上げ、市川は光矢を見た。
 光矢は不思議そうにこちらを見返している。
 少しクセのある、柔らかい緑の髪に白い肌。二重の大きい眸に少々小柄な細身の体躯。
 「まぁこれでモテないわけないか」
 (……目の包帯はマイナス要因にはならないのかな)
 そして光矢の右目には四角いガーゼが乗せられていた。それが動かないように、頭にぐるりと包帯が巻かれている。
 緑の髪の下に埋もれている包帯は鮮やかな白。しかしなぜだか光矢は少しも痛々しく見えない。
 「いや、むしろプラスかな、包帯とかガーゼって」
 「?」
 制服のズボンのベルトに手をかけながら、市川は光矢に言った。
 「光矢。相手はどんなこなの。大丈夫、根本には黙っててあげるから」
 「?」
 市川の言葉が理解できなかったようで光矢はまた首を横に傾けた。
 「女子? 男子? おとな? こども?」
 「…………? おとなとこども。両方性別は男だが……」
 「おー。一日に二人も」
 ズボンから片足を抜きかけていた市川は、心の底から感嘆した。
 「さすが光矢。はじめてが3Pだなんて。そんな逸材に俺なんかが教えることは何もないよ」
 「? ……? なんでオレの話になるのです?」
 市川がトランクス姿で神妙な顔をすると、光矢は無表情の中に困惑の色を浮かべた。
 「ん? 光矢がその二人に唇をくっつけられたんじゃないの?」
 「オレは出てこない。見ただけです」
 「ああ、そうなんだ。じゃあ俺の早とちり。ごめんごめん」
 なーんだ、という文字を背景に浮かべて私服の方のズボンを穿き始めた市川に、光矢はちょっとほっとしたような雰囲気を出した。
 「そうです。見たんです」
 「まぁ目にするだけなら小学生でも機会はあるよね。テレビででも見た?」
 「てれび」
 不思議そうに光矢がオウム返しをするので、市川はぎくりとした。
 「ヒロナガ、てれびというのは」
 「あーうん。知らないんだ。よし、俺のケータイで観れるから後で見せるよ。でも光矢、先に最初の質問を片づけよう。絶対話がそれる」
 「たしかに」
 「俺としてはそのままそらしてしまった方が楽は楽なんだけど……まぁでもうん、ちゃんと約束は守るよ」
 誰ともなく説明。
 「えーっと、だから……。なんだっけ」
 「唇と唇をくっつけるのには、どのような意味があるのか」
 「あー」
 市川は今度はベッドの掛け布団をひっくり返して、どこかに丸まっているはずのパーカーを探し始めた。
 「その行為には名前があるんだよ」
 「なまえ」
 「うん。あんまり人前で堂々とすることじゃないはずなんだけど」
 「そうなのですか?」
 「そうそう。光矢見たって言ってたけど。どこで見たの?」
 「今日、学校で見たのです。そのような行為があると初めて知りました」
 光矢は新しい知識にらんらんと眸を輝かせている。
 「え? 学校で?」
 逆に市川は思わず手を止めて光矢を振り返った。まぁ、落ち着いて光矢の行動範囲を考えてみると、たしかに遭遇場所は学校ぐらいしかありえない。
 「最近の小学生はすごいな」
 自分のことはさらに棚に上げて、市川は感心した。
 「すごいことなのですか?」
 「うーん。ただの粘膜同士の接触だから、大したことないと言えばないんだけど……。でも大人になってもしたことない人はたくさんいるよ」
 「そうなのですか……。さすがトモヒコ……」
 光矢の口から聞き覚えのある固有名詞が出てきたので、市川は興味をそそられた。
 「へぇ。トモヒコがしてたの」
 「はい」
 トモヒコとは、光矢が転入して最初に作った友達だ。トモヒコと、もうひとりキタという男の子と、光矢の話にはその二人がしょっちゅう出てくる。さらりと当然のように友達ができるあたり、DNAというものを感じずにはいられない市川だった。
 「それはさすがトモヒコだね。でも光矢、友達のキスはあんまり覗き見するものじゃないよ」
 「そうなのですか?」
 「うん。そうそう。たぶん」
 「だがヒロナガ。覗き見ではありません」
 「うん?」
 「覗き見というのは、相手の了解を得ずに勝手に見る場合について言う」
 「あぁ、はい。そうです。たぶん」
 「だがそれに今日のオレの場合は、あてはまりません。唇をくっつけたあと、トモヒコはオレを見て笑ったのです。トモヒコはオレが見ていることを折り込みずみで唇をくっつけました」
 「…………トモヒコ……」
 『トモヒコ』と光矢が友達でいることに、市川はかなり不安を覚えた。
 「なんていうか……将来有望というかなんというか……」
 「?」
 「いやいいんだ。こっちの話。で、トモヒコは誰としたの? キタ? あれ、でもたしかおとなっていってたような」
 「キタじゃありません。フェズです」
 「フェズ」
 また新たな固有名詞の出現に、市川は脳内でゆるゆる検索をかける。フェズ。たしか前に聞いたことがあるような……。
 「学校の担任の」
 「あーっ! 数学の笛津!」
 光矢が補足説明をしかけたところで市川はやっと検索がヒットし、思わず大声を上げた。
 「すうがく。とは算数のことですか」
 「数学と算数は厳密には違うらしいよ。え、そんなことよりも笛津?」
 笛津とは、光矢の担任教師で、市川の高校では数学を教えている先生だ。系列校とはいえ、小学校の担任をやりながら高校でも教鞭を取るなんてありえるのか? と市川はその適当さにはじめ呆れ返ったものだったが、とはいえここは魔法の学校。それくらいの不可解はまかり通るのだろう。他にも魔法剣部の体育教師が小学校で担任を持っていることを市川は知っている。
 「それにしたってそれは驚くよ!」
 「…………」
 誰ともなしに説明して市川はパーカーを羽織った。
 「笛津はあれで根は純情な男だよ絶対!」
 「ヒロナガ、突然楽しそうだが」
 「うん、俄然テンション上がってきた」
 市川はばふっと勢いよくベッドへ腰掛けた。
 「光矢も座りなよ。ぜひ光矢が見たものの話をしてほしい」
 「ヒロナガ。オレが知りたいのはその行為にどのような意味があるのかですが」
 「光矢、唇を重ねる行為はね、時と場合とシチュエーションによって、多くの意味を持ったり、なんの意味も持たなかったりするものなんだ」
 もっともらしいことを言う。
 「そうなのですか?」
 「うん。だからトモヒコとフェズがどんな風に唇を重ねたのか話してごらんよ。聞かせてくれれば、俺もきっとそれが何の意味を持つのか説明できると思う」
 「わかりました。ありがとうヒロナガ」
 素直な光矢は素直に市川の適当な言葉を信じて彼の横に腰掛けると、素直に今日見た出来事について話し始めた。

 「中学では日直じゃなくて『週番』が黒板キレイにするらしいよ」
 「しゅうばん?」
 「『週番』という正体不明の正義の味方がいてね、生徒たちのか弱い気管を白墨という魔の手から救ってくれるんだって」
 「それは、大変有意義なシステムだな」
 教室の黒板には、今日の「日直」として光矢と朋彦の名字が書き込まれていた。
 放課後。二人は黒板消しを二つずつ持ち、窓から腕を出して、それらをはたいている。 「このチョークの粉というのはなかなか、肉体に悪影響を及ぼしそうだからな」
 「服が汚れるしねー」
 晴れていた。校庭側からは、放課後の自由を楽しむ児童たちの歓声が聞こえる。
 光矢たちの使っている教室は、校庭ではなく裏庭に面した2階にあるので、その自由を拝むことはできないのだが。
 「しかし、そんな任務を抱えている人たちがいるなら、小学校にこそやってくるべきではないのか? カラダが小さい児童の方が、よりチョークの粉から守られるべきだ」
 「そうそう! 光矢ならそう言ってくれると思った」
 しかもこの校舎は外側の壁の至る所に蔦が這っている。下手をすると窓の外が葉っぱしか見えない。これのおかげで涼しいらしいのだが、どうにも薄暗かった。
 「なんだ」
 光矢は表情を動かさず、たんたんと黒板消しをはたきながら言った。
 「オレに同意させたくて言ったのか。トモヒコは遠回しだ」
 「だって光矢、頭いいんだもん」
 ばふん、と勢いよく黒板消しを叩いて朋彦がにこにこ笑った。教室の窓から裏庭へ、ぶわりと白墨の霞が舞った。
 「! げほげほっ」
 光矢は目を丸くして咳込む。のどがピリピリ痛んだ。チョークの粉を吸い込んでしまったらしい。
 「ナゾかけをして思った通りの返事がもらえるとね、とても得した気分になる」
 「……と、く?」
 涙目で光矢が問いかけると、朋彦は頷いた。
 「無駄な説明をしなくていいから体力を使わないし、ストレートに言葉を口にしなくていいから精神に負荷がかからない。なによりツーと言って相手がカーと言うと、面白くて爽快」
 けんけんと光矢が咳をしている隣で朋彦は楽しそうにくるりと回った。制服のセーラー襟がひらりとなびく。
 「肉体がチョークから受ける影響はどう?」
 「目にしみる。あと、声がでなくなりそうだ」
 「ねー! 僕の声が出なくなったら困るのはフェズだっていうのに」
 不平だというのにどこか嬉しそうに朋彦はそう言うと、息を一つ吸い込んだ。そのバラ色の唇から、透き通るような少年の声が星遊びの歌を歌った。
 音楽の授業で習ったばかりだったので、光矢も朋彦と一緒に歌う。
 「だから僕、光矢と友達になれてうれしいよ」
 歌い終わると朋彦はこちらを向いてにこっとした。
 まっすぐで細い茶色の髪。同じく澄んだ茶色の虹彩。勉強も運動もよくできて、朋彦はクラスにたくさん友達がいる。
 「フェズ先生は時々うさんくさそうに光矢を見るけど、気にしなくていいよ」
 「先生」
 普段は呼び捨てにしているのに、朋彦はあえてフェズ先生と言った。それになんらかの意味と感情が込められているのだろう、と光矢は理解して、少しだけ注意深くなる。
 「見た目より心配性なんだ。みんなと光矢と、両方心配なだけ」
 朋彦は窓の向こう、蔦の隙間から覗く夏の空に視線を投げた。
 「……だから許してあげてくれないかな」
 「…………」
 光矢は緑色の眸で朋彦の横顔を見た。
 朋彦は星遊びの二番を歌い始めたので、光矢も一緒に歌う。途中から光矢はアルトを歌ってみた。自分の声は朋彦の美しいソプラノによく合い、きれいにハモった。
 「それが言いたくて、わざわざ手動で黒板消しをはたいたのだな」
 「うん」
 教室には実はクリーナーがあって、黒板消しをそこに乗せるとチョークの粉を吸い取ってくれる。それを使えばふたり窓でポコポコ原始的に黒板消しを叩く必要はなかった。
 「あと僕、あの音がどうしても好きになれないんだよ。うるさくってうるさくって」
 クリーナーの原理は、いわばただの粗悪な掃除機なわけで、電源を入れるとものすごい音がする。
 「それなのに毎日、算数準備室の黒板消しをきれいにしているのか」
 「うん。趣味なんだ。そのせいで日直の時は黒板消し4つはたくハメになっちゃうんだけどね」
 教室の黒板消しが2つ。算数準備室の黒板消しが2つ。あわせて4つ。
 「趣味というのは手間のかかるものなのだな」
 「手間がかかるのにやり続けてるから趣味とでも言うしかないというか。まぁさすがに4つも見ると、『週番』にゆずってもいいかなって気にはなるよ」
 にこにこ笑って、朋彦は黒板消しをはたき続けた。
 「朋彦。許すも何も、オレは先生に何の感情も抱いていない」
 「うん。分かってるよ。どちらかというとこれは、」
 そう言いかけて、朋彦の言葉が止まった。まっすぐに校舎の外、裏庭を見ている。
 「先生」
 視線を追いかけると、窓に茂る葉の隙間から、二人の担任である若い黒髪の男が見えた。
 朋彦を見ると、笑みの質が変わっていた。
 朋彦は微笑んでいた。
 いつもにこにこしている朋彦なので、笑っていることは不思議でも何でもないのだが、光矢は何故か、それがいつもと違う笑みだなと感じた。
 「どちらかというと、自分に言ってるの」
 若い教師に視線を留めたまま、朋彦は止まりかけた会話を再開した。
 「光矢がいいとも悪いとも、なんとも思っていないうちに言っておこうと思って。光矢なら、そのうち気がつくだろうから」
 「フェズはそんなに変な目でオレを見てるだろうか」
 「たっまーにね。本人は誰にもばれていないと思ってるんだろうけど」
 朋彦はちょっとバカにするように笑った。光矢はふむ、と先生を見ながら瞬きする。
 「そうか。朋彦はいつも先生を見てるから分かるんだな」
 なにげなく光矢が口にしたその言葉に、朋彦は笑みを消してぽかんとこちらを見た。
 「? なにか間違えたか」
 その反応がよく分からなかったので、光矢は素直に問うた。朋彦はしばらく眸をぱちぱちして光矢を見ていたが、突然くすっと笑って、また先生の方へ向いた。
 「んーん。間違ってない」
 「よかった。変な顔をするから驚いた」
 「変って言われた……」
 「変だったぞ」
 「重ねなくていいよ。そうなんだ。だから、ね」
 朋彦はやさしげに微笑む。
 「許してあげてほしいんだ。光矢ならそのうちすぐ、フェズの視線を実感する」
 「そうだろうか」
 「そうだよ。でもそれはフェズが先生としてしていることで、光矢を含めたみんなが心配だからなんだ。だからイヤな気持ちにならないであげて欲しい」
 「どうして、それを朋彦が言うんだ?」
 素直な疑問を光矢が口にすると、
 「だって僕は、光矢と友達になれてうれしいと思っているからさ!」
 朋彦は大きな薄茶の眸でこちらを向いて笑った。朗らかな笑みだった。
 「だから先手を打ってる。せっかくできた面白い友達を失わなくて済むようにね」
 「…………」
 朋彦は上機嫌でまた歌を歌い始める。その歌声が裏庭に流れると、向こうにいた先生が何かを探すように辺りを見回した。
 「つまり」
 黒板消しを叩く手も止めて、じっと考えていた光矢は口を開いた。
 「朋彦はフェズ先生をよく思わないモノとは友達でいられないということだ」
 裏庭にいるフェズ先生を見る。ざんばらの真っ黒な髪。細い体躯。眼鏡をかけて、いつも不機嫌そうに口を結んでいる。
 「優先順位が明確なんだな」
 光矢たちの学校では担任をしてくれるが、ヒロナガの学校でも数学を教えているらしい。朋彦と正反対に、先生はあまり友達が多くなさそうだった。
 朋彦は肯定も否定もせず、星遊びを繰り返し歌っている。
 「オレはうれしく思う」
 光矢の言葉に、朋彦は視線で問うてきた。
 「朋彦にとって絶対一番の先生がオレを変な目で見るのに、朋彦は手間をかけてまでもオレと友達でいようとしてくれる」
 光矢は朋彦の眸をじっと見つめた。
 「とてもうれしいことだ」
 「…………ぶはっ!」
 朋彦は歌を歌い続けようとしたが、こらえきれなくなったとでも言うように妙な音を立てて大きく吹き出した。
 「み、光矢っ……あははっ、あー、くーっ」
 肩をふるわせて朋彦はくつくつ笑った。
 「光矢いい。すごいいい。うん、さすが光矢」
 げらげら笑ってから、朋彦はうんうんと首を何度も縦に振った。
 「? オレはほめられているのか?」
 「ほめてるよ! だって光矢、ほんとに邪気がないんだもん。頭がいいのに素直で。まっすぐに目を見て『うれしい』か。あー、いいなあ」
 朋彦は黒板消しを手に持ったままぐいと上にのびをした。
 「みーんな光矢みたいだったらラクなのに」
 「そうしたらフェズまで性格が変わってしまうぞ」
 「あ、そっか。フェズが光矢みたいだったらほんっとうにラクだろうなぁ」
 「そうか」
 「うん。でも……」
 朋彦は手の中のくたびれた黒板消しを愛おしげに見つめた。
 「やっぱり、今のフェズがいい」
 「そうか」
 「うん!」
 弾けるように笑みをこぼすと、朋彦は突然ひらりと光矢の手の上に自分の黒板消しを乗せた。
 「朋彦、これじゃあ黒板消しが叩けない」
 「光矢のはもう充分きれいになってるよ。今度はこっちを叩いてね」
 「……黒板消しを叩くのは朋彦の趣味なんじゃなかったのか」
 「だって僕、行かなくちゃ」
 横目でフェズの方を示し、朋彦はにこっとする。
 「ああ。フェズは朋彦を探してるのか」
 「歌ったからね」
 「そういう約束なのか?」
 「約束なんていらないんだよ。僕とフェズの間には」
 光矢が瞬きして朋彦を見ると、朋彦は嬉しそうに笑ってセーラー襟をひらりとさせた。
 「まぁまぁ。お返しに、光矢がたぶん見たことないもの見せてあげるよ。光矢は頭がいいけど、知らないものばかりだから」
 「人になってまだ少しだからな」
 「そっか。だから光矢は素直なのかな」
 朋彦は紺色のハイソックスを皺がないようにきっちり膝まで引き上げると、机の森を通り抜け、教室から廊下に出る扉へ向かった。
 引き戸に手をかけたところでこちらを振り返る。
 「さっき光矢はうれしいっていってくれたけど、違うよ」
 「ちがう?」
 「僕が欲張りなだけ。フェズがいるのに光矢と友達でいたいなぁって思ってるだけ。たとえばもし光矢がフェズにマイナスになる人間だってこの先分かったら、僕はあっという間に手の平を返すよ」
 「…………」
 「フェズが僕に、光矢と話すのをやめろと言っても同じ」
 まぁそれはもうすでに思ってるかもしれないけど、と朋彦は肩をすくめた。
 「でもフェズが口にしない限りは僕の自由。だから光矢がフェズにマイナスにならないように、フェズが僕に口を出したくならないように、こうやって先手を打ってる。僕はフェズも光矢も気に入ってるから。ね、欲張りでしょう」
 朋彦はにこにこした。光矢はその眸を見つめながら少し考えた。
 「それは」
 そして言う。
 「欲張りではなくて、勤勉というのではないか?」
 「“働かざるモノ食うべからず”!」
 あははっと朋彦は快活に笑って、それからいたずらっぽい光を瞳に宿した。
 「ちゃんと黒板消し、キレイにしててね、光矢」
 そしてくるりときびすを返すと、廊下を駆けていった。軽快な足音に、朋彦のよく通る歌声が混じる。
 「…………」
 声がだんだん遠ざかるので、光矢はとりあえず言われたとおり黒板消し叩きを再開することにした。
 ぽすぽす叩くと面白いようにチョークの粉が舞う。朋彦はいったい今まで何をやっていたのだ。まったく粉が取れていないじゃないか。
 蔦の茂る窓の外を見つめながら光矢が日直の職務をこなしていると、朋彦が裏庭につるりと現れた。
 上履きのままフェズのところまで、走っていく。
 呼びかけられたのだろうか、フェズが朋彦に気づいて振り向いた。不機嫌そうだった顔をさらに不機嫌にして、朋彦に何事か言った。朋彦は逆に、とても嬉しそうに、フェズに向かって応えている。
 (あんなに嬉しそうな朋彦の顔は見たことがない)
 しあわせそうな、と形容すればいいのだろうか。光矢はふむ、と思った。あれが「しあわせそうな」か。
 (こんなにしあわせになれる相手がいるなら、他に友達などいらなくなりそうなものだ)
 フェズが朋彦の上履きを指さして、それを朋彦が楽しそうに笑う。
 (と、すると、たしかに朋彦は欲張りなのかもしれないな)
 朋彦とフェズが、誰もいない夏の裏庭で言葉を交わしている。その様を蔦の間から見ながら、光矢は思った。明るい陽の中で、朋彦の制服は白く眩しく、それはフェズも同じようで、彼も眩しげに目を細めていた。
 二人は会話をしながら、校舎へ戻ってくる。ふと、朋彦がフェズの髪を片手で示した。
 チョークの粉がついてる
 朋彦の唇が言った。
 光矢は自分の手がはたき続けている黒板消しを見た。そしてそこから舞う白い粉を。
 二人が校舎に近づいたせいで、光矢からはまるで彼らが雪の降る中にいるように見えた。
 フェズが何事か言って、髪を乱暴にかきあげる。朋彦が笑って首を振って
 僕が払ってあげる
 と言った。
 しゃがんで?
 朋彦の唇がそう形作って、フェズがまた何か言い、イヤそうに顔をしかめたが、朋彦が言葉を重ねると、結局彼は裏庭の芝生の上に膝を突いた。
 それを見た朋彦は、
 「!」
 一瞬、しかししっかりと、蔦の葉をへだてた向こうにいる光矢を見た。目が合う。朋彦はくすりと、いたずらっぽく笑った。
 そしてフェズの方へ向き直ると、自分の顔の高さまで降りてきたその唇に、自分の唇を重ねた。
 「………!」
 光矢は目を丸くした。
 髪についたチョークの粉を払ってあげるのではなかったのか?
 フェズも驚いたように表情をこわばらせると、急いで立ち上がり、右手の甲で唇を覆う。
 朋彦だけが一人とても楽しそうに、にこにこしていた。
 大丈夫。誰もいないよ。
 フェズにそう言って、再び光矢のいる教室の方を見上げる。今度は視線だけではなかったので、フェズも同じようにこちらを見上げてきた。
 フェズと目が合う。フェズは一瞬ぽかんと呆けた顔で蔦の向こうにいる光矢を見て、それから真っ青になった。
 フェズが何故青くなったのか、光矢には全く分からなかったのだが、フェズは何かとても打撃を受けたようにぐったりとした。
 逆に朋彦はほんのり頬を薔薇色に染めて、とてもうれしそうに、愛らしく微笑んだ。
 みた?
 そう唇が紡ぐので、光矢は黒板消しを叩きながら頷いてみせた。朋彦はとても愉快そうに笑って、続けて紡ぐ。
 ありがと

 『それ、誰もいなくねェじゃん!』
 電話口でヤコウがげらげら笑った。
 『いったいどの口が言うんだよ!』
 「そういえば、確かにそうだ」
 寮の談話室の端っこで、光矢は驚いて声を上げた。
 『なんだよ、気づかなかったのかよ光矢ァ』
 「唇をくっつける行為が不可解すぎて、そちらにばかり気を取られていた」
 『ダメじゃねェか。そんなんじゃ、光矢もフェズみたいに手玉に取られるぜェ?』
 「う……」
 重たい受話器を両手で抱えて、電話の前に直立しながら、光矢はたじろいだ。電話の台の横ではヒロナガが呆れたような顔で床に座っている。
 『それで? 結局、その不可解な? 行為は何なのか分かったのか』
 「それなんだ。聞いて欲しいヤコウ」
 ヤコウと電話をするときは、ヒロナガの携帯電話ではなく、談話室の固定電話を借りてするのが常だった。ヤコウは魔法の学校から遠くの実家に帰っている。魔法のせいなのか山に囲まれているせいなのか、魔法の学校からケータイで遠くへ電話すると、どうにも電波が弱くて安定しないのだ。
 光矢は無表情の中にほんの少し避難する色をのぞかせてヤコウへ不満を訴えた。
 「オレは一生懸命ヒロナガに一部始終を話して伝えたのに、ヒロナガは終わった途端、『光矢、今日は根本に電話できる日だったよね』と言ってオレを談話室へ連れてきた。オレは、ヒロナガが答えを教えてくれるものとすごく楽しみにしていたのに」
 『なんだと! 市川が! そりゃ酷ェ!』
 「やっぱり、これはひどいと思っていいことだろうかヤコウ」
 『ああ、それは正当な感情だぜ、光矢』
 「ヒロナガはオレと約束をしている。質問していいって。それなのに」
 『うんうん、それは正当な抗議だぜ。しかしな、光矢』
 「?」
 『市川はもともと、基本的にろくでもねェ奴なんだ』
 「な……! そうだったのか!」
 『だからこの程度のことでくじけんな! 強くなれ!』
 「おお!」
 「なんでお前らの会話って最終的にそこに落ち着いちゃうの?」
 私服姿のヒロナガは淡々と感想を述べた。
 『なんだよ市川、盗み聞きするな。勝手に会話に参加してくんじゃねェよ』
 「そうですヒロナガ。お行儀が悪いです」
 「丸聞こえなんだっつーの……」
 ヒロナガは遠い目をした。
 「ヤコウは唇を誰かとくっつけたことはあるの?」
 『おう! あるぜ!』
 「おおお」
 『でもな、俺より市川の方がずっとたくさん得意だぜ!』
 「そうなのですか!?」
 「根本!」
 『それなのに教えてくれないなんてなァ。ホント酷い奴だぜ……』
 「でもヤコウ、ヒロナガにもいいところはたくさんあるんだよ。ヤコウが思ってるほど、酷い人間ではないようにオレには見える」
 『そうかなァ、俺にはそうは思えねェなァ。光矢だまされンじゃねェか?』
 「そ、そんなことは、ない……。ないですよね、ヒロナガ」
 「いや、俺のことはいいんだけど。光矢、結局根本にも会話そらされてるんだからね? 分かってる?」
 だんだんヒロナガがかわいそうな子犬のような存在に思えてきて、光矢は切なくなりながらヒロナガの方へ問いかけた。しかし彼は全く動じずにそう諭してきたのだった。
 「!」
 電話の向こうでヤコウが勝ち誇ったように笑い声をあげた。
 談話室の窓にも蔦が茂っている。夏期休暇が近い、夜の長電話だった。

おわり


----------------------------------------------------

時々無性に小学生を書きたくなります。
読み手としてのストライクゾーンは高校生~なんですが、
二次性徴期前の少年の、独特な特別感が書く時は楽しいです。
逆に少女はどんなに小さくても女性なんですよね。っていうかそうだと萌えます。

PR
| COMMENT:0 | HOME |

COMMENT

コメントする


 

このエントリーのトラックバックURL

これがこのエントリーのトラックバックURLです。

このエントリーへのトラックバック

BACK| HOME |NEXT

カレンダー

10 2018/11 12
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

プロフィール

HN:
小橋
性別:
女性
自己紹介:
体力をつける為
筋トレに励むまいにち。
とりあえず立位体前屈から。

はじめての方は
カテゴリの
「ここについて」
をどうぞ。

カテゴリー

リンク

最新記事

(07/31)
(05/10)
(04/24)
(02/26)
(02/22)

最新コメント

バーコード

RSS

フリーエリア

ブログ内検索